古代ローマの時代には、何千人もの人を収容できる巨大な公衆浴場が作られ、身分の貴賤にかかわらず多くの人が入浴を楽しんでいました。ところが中世以降のヨーロッパでは次第に入浴する習慣が廃れていってしまいました。これはいったいどうしてでしょうか?
この原因は2つあります。1つはキリスト教が中世以降のヨーロッパで絶対的な教義として人々の間に定着したことです。当時の人々はキリスト教を忠実に守り厳格な規律や倫理観の下で生活していたので、人前で裸になることや自分の裸をさらすことは「恥ずかしいこと」としてダブーとされました。
もう1つはペストなどの疫病が中世以降のヨーロッパで猛威をふるい、多くの人が亡くなったことです。当時の未発達な医学では、現在の常識では考えられないような怪しげで呪術的な治療がまかり通っていました。
当然、ペストが細菌による感染症だとは理解されておらず、当時の人々は「悪い水」が皮膚を通して体内に入ることが原因だと信じていました。公衆浴場もペスト蔓延の原因とされ廃れていきますが、当時は風呂を沸かすのに使う「薪」が高価だったことも理由の一つです。
これらが要因となり、次第に入浴する習慣そのものがなくなっていきます。もし体が汚れたときは乾いた布で拭くだけだったそうです。水で濡らした布で拭いた方が効果的だとも思いますが、「水」が皮膚を通して体に入ると危険だと当時は考えられていました。
当時のヨーロッパでは排泄物などをそのまま川や路上に捨てていたことも含めて、不衛生になるのは当然ですね。でも当時の人々にとっては、これらは「当たり前のこと」だったようです。
17世紀頃まで、ヨーロッパで度々疫病が大流行し多くの人々が犠牲になったのは、人々の間違った常識や不衛生な生活環境、衛生観念が原因だとも言えます。
16世紀以降のヨーロッパの王侯貴族のあいだで流行したものに「化粧」と「香水」がありますが、実は現在とは少し使用目的が異なります。
「化粧」は肌をより美しく見せるためではなく、顔の汚れを隠すために女性だけでなく男性も行なっていました。「香水」は香りを楽しむためではなく、消臭・防臭つまり体臭を消すために使われていました。入浴して体を清潔に保つ習慣がなかった当時の上流階級の人々も、周囲に不快感を与えないよう努力していたようです。
こうした状況は19世紀に入ると大きく変化します。医学や医療技術が進歩した結果、ペストなどの伝染病が細菌によるものだということが発見され、近代的な治療法が確立されます。同時に都市部の衛生環境も改善され、上下水道の整備などが行われた結果、ヨーロッパの人々の生活衛生についての常識が変わっていきます。
古代~中世~近世ヨーロッパでのこうした過程を考えると、私たちも「間違った常識」にとらわれ過ぎないようにしていくべきですね。