皆さんは、「ベルサイユ宮殿にはトイレがなかったので、当時の上流階級の人は宮殿の庭などで用を足していた」という話を聞いたことはありませんか?
実際には、ベルサイユ宮殿にはトイレが1つもなかったのではなく、数か所はありました。しかし大きな舞踏会などのパーティーが開かれると、何千人もの人が宮殿に集まってきます。トイレの絶対数が不足するのは容易にわかりますね。
そうするとパーティーの参加者たちは庭や、部屋の隅、階段の下などで用を足さざるを得なくなります。今の衛生観念で考えるとかなり汚いですね。でもどうして宮殿内にトイレをたくさん作らなかったのでしょうか。
実は、当時の人は上流階級であってもトイレで用を足すという習慣がなく、「おまる」のような携帯用の簡易便器を使っていました。たまった汚物をどのように処理していたのかと言うと、そのまま川や湖、池などに流したり、路上に捨てていました。
当時のパリやロンドンのような大都市でもそうした汚物は路上に捨てられており、道路が悪臭を放っていることもありました。2階の窓から外に汚物を投げ捨てる人もいたので、道を歩いていると突然頭上から汚物が降ってくる!こともあったようです。
江戸時代の末期(幕末)に江戸を訪れたヨーロッパ人は、街や道路が清潔に保たれ、下水道や汚物の処理などの衛生環境が整備されていることや、公衆浴場(銭湯)があり、庶民でも定期的に入浴していることに大変驚いたそうです。
当時のヨーロッパ人は不衛生な環境で生活することを何とも思わなかったのでしょうか。実は、当時のヨーロッパ人は上流階級も含めて入浴する習慣がなかったというと大変驚く人もいるかもしれませんが、実際18世紀頃までのヨーロッパでは当たり前のことだったようです。
古代ローマの時代には何千人もの人を収容できる大きな公衆浴場があり、ヨーロッパ人も入浴する習慣がありましたが、その後廃れてしまいました。ではどうして廃れてしまったのでしょうか?
それは古代ローマ時代以降にヨーロッパ人の宗教となったキリスト教の考え方と、中世ヨーロッパで猛威を振るったペストなどの伝染病に対する間違った考え方が大きく影響しています。
後編ではそのあたりのことを説明していきます。